かつては、地域社会や会社関係者など、多くの人々を招いて、二日間にわたる盛大な葬儀を執り行うのが当たり前でした。しかし、時代は変わり、今や「葬儀をやらない」、すなわち直葬(火葬式)を選ぶ人々が、都市部を中心に急増しています。この劇的な変化の背景には、現代日本が抱える、いくつかの深刻な社会構造の変化と、人々の価値観の多様化が複雑に絡み合っています。まず、最も大きな要因として挙げられるのが「経済的な理由」です。長引く不況や格差の拡大により、百万円以上かかることもある伝統的な葬儀費用は、多くの家庭にとって大きな負担となっています。残された家族のその後の生活を考え、できるだけ費用を抑えたい、という切実なニーズが、数十万円で済む直葬への流れを加速させています。次に、「社会構造の変化」も大きな影響を与えています。核家族化や都市部への人口集中により、かつてのような地域社会との密な繋がりが希薄になりました。近所付き合いも少なくなり、義理で参列する、されるといった関係性そのものが減少しています。また、高齢化に伴い、故人が八十代、九十代と長寿を全うした場合、その友人や知人の多くはすでに他界しているか、高齢で参列が困難な状況にあります。呼ぶべき人がいないのであれば、大規模な葬儀を行う意味がない、と考えるのは、ごく自然な流れと言えるでしょう。さらに、「価値観の多様化」も見逃せません。宗教観の希薄化により、「形式的な宗教儀式は必要ない」と考える人々が増えました。また、個人の意思を尊重する風潮の中で、「自分の最期は、自分らしく、シンプルにありたい」「残された家族に、精神的・肉体的な負担をかけたくない」という、故人自身の生前の希望が、葬儀の形を決定づける重要な要素となってきています。これらの要因は、一つ一つが独立しているのではなく、互いに影響し合いながら、葬儀を「社会的な儀式」から、「ごく私的な、家族のお別れ」へと、その本質を変化させているのです。葬儀をやらないという選択は、単なる簡素化ではなく、現代を生きる私たちが、自分たちの身の丈に合った、最も誠実なお別れの形を模索した結果、たどり着いた一つの答えなのかもしれません。
なぜ葬儀をやらない選択が増えているのか