父は、典型的な昭和の男でした。寡黙で、不器用で、家族の前で感情を露わにすることは、ほとんどありませんでした。そんな父が、二年間の闘病の末、静かに息を引き取りました。葬儀の打ち合わせの中で、担当者の方から「メモリアルムービーを上映しませんか」という提案がありました。正直、最初は迷いました。あの無口だった父の人生を、映像にして人前で流すなんて、父自身が一番嫌がるのではないか。しかし、母が、古いアルバムをめくりながら、ぽつりと言ったのです。「お父さん、写真だけは好きだったのよね。いつも、黙って、私たちの写真を撮ってくれていたわ」。その一言で、私の心は決まりました。父が撮りためてくれた、たくさんの家族写真。それらを繋ぎ合わせることで、父が言葉にできなかった、家族への深い愛情を、みんなに伝えることができるかもしれない。そう思ったのです。私たちは、実家の押し入れから、何十冊ものアルバムを引っ張り出しました。そこには、私が生まれる前の、若き日の父と母の姿。運動会で、少し照れながら私を肩車してくれる父。娘の結婚式で、涙を堪え、固い表情でバージンロードを歩く父。一枚一枚の写真が、父の無口な愛情を、雄弁に物語っていました。私たちは、その中から数十枚を選び出し、父が好きだったクラシック音楽に乗せて、一本のムービーを作りました。告別式の中盤、会場の照明が落ち、スクリーンに、若き日の父の笑顔が映し出された瞬間、会場のあちこちから、すすり泣きが聞こえてきました。父の会社の同僚だった方が、「ああ、この頃の部長、懐かしいな」と呟くのが聞こえました。そして、映像の最後に、父が撮った家族写真と共に、「たくさんの愛情を、ありがとう」というメッセージを映し出した時、私の隣で、母が静かに肩を震わせているのが分かりました。あのムービーは、父の人生を讃えるためだけのものではありませんでした。それは、父という一人の人間を通じて、そこに集った人々が、それぞれの記憶を繋ぎ合わせ、心を一つにするための、魔法のような時間だったのです。葬儀の後、多くの人から「お父さんの、優しい顔が、たくさん見られて良かった」と言ってもらえました。言葉ではなく、写真で愛情を表現し続けた父。その父らしい、最高のお別れができたと、私は今、心から信じています。